この週末、私が携わっている地域活動の団体が
地域のお祭りに参加した。食べ物ブースで
タイのグリーンカレーを売ることになり、
地元のおっちゃん、おばちゃんが辛いタイカレーを楽しむことができるか、
いささか心配だったけれど、とりあえず決行。
朝も早くから、公民館の調理室にお仲間が集合しなければならず、
お祭りだから車での来場を控え、M夫が不在だったから、
私ひとりで出るわけにもいかず、K太郎と二人、
いつもの倍の時間をかけて、バスを乗り継ぎ行くことにしていた。
K太郎は「お祭りなんて、ボクは行かない~」とごねていたのだけれど、
日曜日に一人で家に置いておくわけにも行かないから、
「早く駅に着いたら、朝マックおごるから」と、
機嫌よくおだててナントカ起こしたのに、いざ、出掛けに
「おらのDSがなーーっい!」と大騒ぎ。バスの時刻も迫っていて、
「使った後、ちゃんと片付けしないからでしょ!」と私はババ怒り!
結局、いつもの場所の横に置いてあった薬のビニール袋の中に
落ち込んでいたのを見つけて、
「この、ドあほー!」と怒鳴られながら、出発するハメに。
やっとの思いでバスに間に合い(そっち行きは日曜日は1時間に2~3本)、
朝マックを食べようと空腹で出てきたのに、途中のコンビニでサンドイッチを買い、
ぶぃぶぃ言いながら公民館に着いた。
もっと笑顔で爽やかな一日にしたいのに、ったく、いつもこうだ。
調理室では皆がタイカレーの材料切りを始めようとしていた。
私はサンドイッチを口に入れるまもなく、何からする?と聞こうとすると、
すかさずK太郎が「ボクもカレー作るっ」とやる気満々で立ちはだかる。
「K太郎の食べれないタイの辛~いグリーンカレーだよ」と言っても、
作ると言ってきかない。お仲間達が
「K太郎、ほんじゃ、しめじ切ってくれる?」と、
でっかい洗面器ほどのザル3つにテンコ盛のしめじを彼の前に差し出した。
「すごっ。100人前のしめじ…!」(K太郎)
「K太郎、包丁持てる?」
「本当に切れる?」
「切るのは石づきだけでいいからね。」
「家の包丁より良う切れるから、指切らんように。」と、
お仲間のおばちゃんに、
次々忠告されながらも、大きな包丁を手渡された。
もともと料理が大好きなK太郎。
「おらは、しょうらい、料理人になるからな。」と腕まくりをしつつ、
「ネコの手、ネコの手」と左指を丸くして、
さくさくと石づきを切っていく。ほほ、なかなかうまい手つき。
それでも100人前カレー用のしめじの量はハンパじゃない。
ひたすら、ひたすら、ひたすら、黙々とじめじを切るK太郎。
「K太郎、アンタのしめじがなきゃぁ、カレー作れないから。がんばって~!」
「すごーーい、もうそんなに切れた?さすが、K太郎!」と、
K太郎がぼーっとしそうになる頃合に、おばちゃん達の合いの手が入る。
おばちゃん達はモーレツに手を動かしながら、目と口もしっかり動かしている。
切り始めて約1時間。
「ぜんぶ、切れたーー!」と新たなテンコ盛のしめじの向こうで、
K太郎が満面の笑みを浮かべて仁王立ちしている。
粉々のしめじがばらまかれてはいるけれど、ま、少々いいか。
皆から、すごい、すごいと褒めちぎられて、大満足のK太郎。
「さて、DS、DS」と、さっさとDSを抱えて向こうに行ってしまった。
こらっ、後片付けでしょうが!!
お陰様で、タイカレーは100食分、あっという間に完売。
お客さんはみんな、辛いな~と汗をかきかき、
それでもおいしそうに召し上がって下さった。
おどろいたのは、殆ど残飯が出なかったということ。
エコステーションから借りた食器で殆どゴミも出ず。
ただし、やはりちょいと辛すぎたようで…。
館長が子ども用に売っていた綿菓子を買ってきて、
こっそり事務所でなめているのを、私は目撃してしまった。
それ以来、K太郎は
“100人分のしめじを切った男”と自己紹介して回っている。
2007年11月20日火曜日
2007年11月12日月曜日
5日間だけの息子達 続編(があった…!)
ここんところ、ずっと私の体調が悪かったので、すっかり昔のことのようだけれど、
つい半月前に来ていた、例のホームスティの息子達(WとXという名前)のその後が、
(性格にはその一人だけれど)実はあったというのが、最近判明した。
ある日の夕飯の後、何かについて家族が一緒に話し込んでいた時、
やおら、A子が「私、ちょっと今忙しいから…」と席を立ち、イソイソと自分の部屋へ退散。
また、別の日にも同じようなことがあり、一体何?って聞くと、
「ぐふふ、わたし、Wとメッセ(メッセンジャー)してるから~。」といつもの無表情なA子に、
似合わぬ嬉しそ~な顔。
「えーーっ!!? Wとメッセーぇ??」と、家族の誰もがわが耳を疑った!
おいおい、今までBFなんて全く興味なかったA子なのにぃ?どーしちゃったんだ?A子?!
まあ、あの時デジカメ撮ったしね、そのやりとりかなと思っていると…
またまたある日、
「ね、ママ、英語の文章で○○の時とか、なんて表現するの?」とか、
やたらきいて来る。ひぇ~、A子が英語勉強してる?
まだWとメッセしてるの?ときくと、またもや嬉しそうな顔。
私が持っている英語の教本を何冊か、A子に見せると、
「うわ~、助かる!ありがとー。ママ。」
「!!!???」(私)
「まぁ、モチベーションは何でもいいわな、英語勉強する気になれば。」とY子。
いつまで続くんだろ…と密かに私達は考えてる。
「また、バスケの試合でBeijing行くもんね~」なんて、
ワケのわからんことまで独り言いってるA子。
どーでもいいから、そろそろ本気で受験勉強せい。
つい半月前に来ていた、例のホームスティの息子達(WとXという名前)のその後が、
(性格にはその一人だけれど)実はあったというのが、最近判明した。
ある日の夕飯の後、何かについて家族が一緒に話し込んでいた時、
やおら、A子が「私、ちょっと今忙しいから…」と席を立ち、イソイソと自分の部屋へ退散。
また、別の日にも同じようなことがあり、一体何?って聞くと、
「ぐふふ、わたし、Wとメッセ(メッセンジャー)してるから~。」といつもの無表情なA子に、
似合わぬ嬉しそ~な顔。
「えーーっ!!? Wとメッセーぇ??」と、家族の誰もがわが耳を疑った!
おいおい、今までBFなんて全く興味なかったA子なのにぃ?どーしちゃったんだ?A子?!
まあ、あの時デジカメ撮ったしね、そのやりとりかなと思っていると…
またまたある日、
「ね、ママ、英語の文章で○○の時とか、なんて表現するの?」とか、
やたらきいて来る。ひぇ~、A子が英語勉強してる?
まだWとメッセしてるの?ときくと、またもや嬉しそうな顔。
私が持っている英語の教本を何冊か、A子に見せると、
「うわ~、助かる!ありがとー。ママ。」
「!!!???」(私)
「まぁ、モチベーションは何でもいいわな、英語勉強する気になれば。」とY子。
いつまで続くんだろ…と密かに私達は考えてる。
「また、バスケの試合でBeijing行くもんね~」なんて、
ワケのわからんことまで独り言いってるA子。
どーでもいいから、そろそろ本気で受験勉強せい。
2007年11月11日日曜日
ツブヤキ
大抵の子どもは母親が大好きなんだよね、きっと。
私も母親になって早くも20年近く!(おぉ、そんなになったか!)
子どもも3人も育ててきて、そろそろ母親って存在が、
自分と自然に同一になってもよい頃なんだけれど、
いつまでたってもなんかシックリこない。
他の人はそういう感覚ってないのかしらん?
片や、親っていうものは子どもが可愛くて愛おしくてたまらないもんなんだよね、
きっと。
私の親にいたっては、いつまでたっても私を“自分”の娘という意識が強くて、
とても愛おしく思ってはくれるんだけれど、
どうも、私もこの子達(自分の孫の)の母親であるということを、
時々忘れているんじゃないかって感じることがある。
この感覚に対しても、なんかシックリこない。
これは、ちょっと先の感情とは矛盾するんだけれどもね。
私は彼らにとって、母親でもあり娘でもあるんだけれど、
私はどちらにもシックリこない自分をいつも意識してしまい、
ある意味自己嫌悪してしまう。
母親でありたいという気持ちよりも、母親であろうという意識と、
娘でありたいという気持ちよりも、娘であろうという意識が、
私の場合、それぞれ優っているから不自然なんだな、きっと。
それだけ、彼らへの愛情が愛着が薄いっていうことなんだろうか。
もちろん、色々なの親子のあり方があるだろうし、
そんなにステレオタイプに考える必要もないんだろうけれど、
なんだか最近、特にこの問題にひっかかる自分がいる。
どこかで無意識に無理をしているのかな、私は。
まるまる自分だけの自分に戻りたいと切に感じることも、
実際、無理な話なんだけれどね。
私も母親になって早くも20年近く!(おぉ、そんなになったか!)
子どもも3人も育ててきて、そろそろ母親って存在が、
自分と自然に同一になってもよい頃なんだけれど、
いつまでたってもなんかシックリこない。
他の人はそういう感覚ってないのかしらん?
片や、親っていうものは子どもが可愛くて愛おしくてたまらないもんなんだよね、
きっと。
私の親にいたっては、いつまでたっても私を“自分”の娘という意識が強くて、
とても愛おしく思ってはくれるんだけれど、
どうも、私もこの子達(自分の孫の)の母親であるということを、
時々忘れているんじゃないかって感じることがある。
この感覚に対しても、なんかシックリこない。
これは、ちょっと先の感情とは矛盾するんだけれどもね。
私は彼らにとって、母親でもあり娘でもあるんだけれど、
私はどちらにもシックリこない自分をいつも意識してしまい、
ある意味自己嫌悪してしまう。
母親でありたいという気持ちよりも、母親であろうという意識と、
娘でありたいという気持ちよりも、娘であろうという意識が、
私の場合、それぞれ優っているから不自然なんだな、きっと。
それだけ、彼らへの愛情が愛着が薄いっていうことなんだろうか。
もちろん、色々なの親子のあり方があるだろうし、
そんなにステレオタイプに考える必要もないんだろうけれど、
なんだか最近、特にこの問題にひっかかる自分がいる。
どこかで無意識に無理をしているのかな、私は。
まるまる自分だけの自分に戻りたいと切に感じることも、
実際、無理な話なんだけれどね。
2007年11月4日日曜日
スーパーウーマン
スーパーウーマンはいつも強い
どこにいても、どんな時でも、彼女は困った人を助けに行く
スーパーウーマンはいつも笑顔
雨の日も、風の日も、嵐の日だって彼女はにこやかにやってくる
スーパーウーマンはいつも無敵
大男にも、怪物にも、エーリアンにだって負けやしない
スーパーウーマンはいつも元気
24時間、365日、風邪もひかなきゃ、下痢もしない
スーパーウーマンはいつもみんなの希望
悲しいことなんてない、悩みもない、ストレスでイライラすることなんて、まるっきりない
でも…
スーパーウーマンは時々、羨ましくなる
3分間でエネルギーランプが点滅するウルトラマンのこと
ピコンピコンピコンピコン
この上もなく羨ましくなることがある
思い切り戦う時間が、3分間だけのウルトラマンのことが
どこにいても、どんな時でも、彼女は困った人を助けに行く
スーパーウーマンはいつも笑顔
雨の日も、風の日も、嵐の日だって彼女はにこやかにやってくる
スーパーウーマンはいつも無敵
大男にも、怪物にも、エーリアンにだって負けやしない
スーパーウーマンはいつも元気
24時間、365日、風邪もひかなきゃ、下痢もしない
スーパーウーマンはいつもみんなの希望
悲しいことなんてない、悩みもない、ストレスでイライラすることなんて、まるっきりない
でも…
スーパーウーマンは時々、羨ましくなる
3分間でエネルギーランプが点滅するウルトラマンのこと
ピコンピコンピコンピコン
この上もなく羨ましくなることがある
思い切り戦う時間が、3分間だけのウルトラマンのことが
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