2007年11月11日日曜日

ツブヤキ

 大抵の子どもは母親が大好きなんだよね、きっと。
私も母親になって早くも20年近く!(おぉ、そんなになったか!)
子どもも3人も育ててきて、そろそろ母親って存在が、
自分と自然に同一になってもよい頃なんだけれど、
いつまでたってもなんかシックリこない。

 他の人はそういう感覚ってないのかしらん?

 片や、親っていうものは子どもが可愛くて愛おしくてたまらないもんなんだよね、
きっと。
私の親にいたっては、いつまでたっても私を“自分”の娘という意識が強くて、
とても愛おしく思ってはくれるんだけれど、
どうも、私もこの子達(自分の孫の)の母親であるということを、
時々忘れているんじゃないかって感じることがある。
この感覚に対しても、なんかシックリこない。
これは、ちょっと先の感情とは矛盾するんだけれどもね。

 私は彼らにとって、母親でもあり娘でもあるんだけれど、
私はどちらにもシックリこない自分をいつも意識してしまい、
ある意味自己嫌悪してしまう。
 
 母親でありたいという気持ちよりも、母親であろうという意識と、
娘でありたいという気持ちよりも、娘であろうという意識が、
私の場合、それぞれ優っているから不自然なんだな、きっと。
それだけ、彼らへの愛情が愛着が薄いっていうことなんだろうか。

 もちろん、色々なの親子のあり方があるだろうし、
そんなにステレオタイプに考える必要もないんだろうけれど、
なんだか最近、特にこの問題にひっかかる自分がいる。

 どこかで無意識に無理をしているのかな、私は。
まるまる自分だけの自分に戻りたいと切に感じることも、
実際、無理な話なんだけれどね。

 








 

2 件のコメント:

Jodako さんのコメント...

テンテンがそうやって「考え込む」こと自体、十分に自分が母親であり、娘であるということを自然に認識している証だと思うんだけれどな。
私なんか、「こうあるべき」とか「ありたい」とすら考えたことはない。ずっと「自分」であって、母親や娘という業務は、パートタイム的に、いやいやこなしている。ずっとそれを自覚してきたし、それを改めようという殊勝な気持ちも持ち合わせていないの。
哀れなのはわが子、わが親なり・・・だよ。

テンテン さんのコメント...

いやいや、きっと、そんなことはないよ。
ダンナはイザ知らず、子どもって、結構親のことをよくみてる。

最近、親子の因果ということについて、よく考えてしまうよ。

私も少しずつ“書ける”ようになってきた。少しだけ、客観的になってきたのかもしれない。いい傾向かな。少しずつ、真剣に“書いて”いこうと思うよ。